今日の一曲

そういえば日本みたいなアイドルって、洋楽ではどれくらいいるんだろうと思って、記憶をたどって少し思い出してみました。
僕はこっち系は専門じゃないんで、あまりマニアックなのは思い出せませんでしたけど、結構有名な人はいますね。
というわけで、いくつかご紹介。


まずはフランスのティーン・アイドルだったフランス・ギャルです。


France Gall - Poupee De Cire, Poupee De Son


この曲は日本でも『夢見るシャンソン人形』の名で有名です。
今聴くとヘタウマというか、普通に下手というか、とにかくなかなか味がありますね。
さすがにこのとき僕は1歳だったんで、正直彼女のことはよく知らないんですが、この当時確か18歳くらいだったはず。
セルジュ・ゲンスブールの提供したこの曲を歌い、65年のユーロビジョン・ソング・コンテストルクセンブルク代表として出場し優勝。しかし当時の風当たりは強く、オーケストラが演奏を拒否する騒ぎにもなったそうです。
またゲンスブールはこの曲の歌詞をダブル・ミーニングにして皮肉や嫌味、卑猥な意味を込めたため、後年それに気づいた彼女はこの曲と距離を置くようになったという逸話もあります。
その後彼女は一時人気が低迷するも、70年代に入って本格的な歌手として再スタートを切り成功します。
しかし夫と娘を次々と病で亡くすという不幸に見舞われ、現在は公の場になかなか姿を現さなくなっているようです。


続いてはディスコ・ブームの歌姫、アラベスク


Arabesque - Hello Mr. Monkey


これは僕が中学生の頃に人気のあったアイドルでした。
70年代後半から80年代前半にかけて活躍した西ドイツのガールズ・グループで、本国では一発屋だったものの、日本では昔懐かしい竹の子族などの支持を得て大人気を博しました。
特にこの『ハロー・ミスター・モンキー』は、洋楽を聴かない僕の従姉なんかも歌っていたくらい、一般に人気がありましたっけ。
当時西ドイツにはボニーMをはじめとして、こういうディスコグループが多く、日本でも人気がありました。かのつんく先生もこのジャンルから多くをパクって、じゃなくてオマージュを捧げております。
メインヴォーカルのサンドラ(当時17歳くらいだった)は、のちにソロとしても活躍しました。


続いては日本でも圧倒的にヒットしたノーランズ


The Nolans - I'm In The Mood For Dancing


僕が高校生の頃に日本で大ヒットを連発した、アイルランド出身の家族グループです。
アン、デニス(日本デビュー時には抜けていた)、モリーン、リンダ、バーナデッド、コリーンの姉妹で構成され(初期には両親も在籍していた)、英国と日本でヒットを連発しました。この『ダンシング・シスター』は日本でもオリコン1位を獲得しています。
今見ると故ダイアナ妃をブサイクにしたような面構えなんですが、芸能雑誌に毎回のようにグラビアが載ったくらい本当にアイドル的な扱いをされていました。
ブームが終わった後その人気は急速に下火になりますが、91年にはJ-POPの楽曲をカバーするいわゆる「逆カバー」でゾンビのように蘇り、レコ大の企画賞を受賞しています。
驚いたことに現在も、アン、モリーン、アンの娘ジュリアと従妹のエイミーの4人組で活動中。
またデニス、リンダ、バーナデットは舞台女優として活躍し、コリーンが朝のテレビ番組のプレゼンターを一時務めるなど、みんなしぶとく生き残っています。


続いてはベルギーのテクノ・アイドル、リオ。



ベルギーのテクノユニット、テレックスがプロデュースしたアイドル。
ポルトガル生まれのベルギー育ちで、17歳でデビューしフランスなどで人気を博しました。
一見能天気なロリータ・テクノみたいですが、ちょっとエロいところもあって、戦略的にもなかなか考えられていたなと、今考えると思います。
ちなみにこの曲を近田春夫がパクって、ジューシィ・フルーツの『ジェニーはご機嫌ななめ』を作ったのは有名な話ですね。Perfumeもカバーしていて、現在も評価の高いテクノ・アンセムです。
リオは現在も本国で、女優やテレビ司会者として活躍しているそうですが、映像を見てみたらすごくエロそうなおばさんになってて笑いました。


続いてはユーロビートの女王、バナナラマ


Bananarama - Venus


80年代に活躍した、英国のポップグループ。
カレン、サラ、シヴォーンの3人組で、最初はニューウェーブ界隈に現れた不思議ちゃんみたいな扱いでしたが、のちにストック・エイトキン・ウォーターマンのプロデュースを受けることによって浮上。
この『ヴィーナス』(ショッキング・ブルーのカバー)などのヒット曲を連発し、ユーロビートの女王的存在として旋風を巻き起こしました。
日本でもバブル景気絶頂期のころに大ブレイクし、日本武道館での公演まで実現しています。タダ券で見に行きましたが、結構ひどかったです。
シヴォーンは88年に脱退してシェイクスピアズ・シスターを結成し、90年前後にいくつかのヒット曲を出しています。
残りの2人は現在も活動を続けていて、カレンは元ワム!のアンドリュー・リッジリーと共に生活しているそうです。


続いてはアメリカのデビー・ギブソン


Debbie Gibson - Shake Your Love


通称「デビギブ」。
80年代にアメリカでティーン・ポップ・ブームを巻き起こした立役者です。
87年、16歳のときに自身で作詞、作曲、プロデュースも手がけたアルバム『Out Of The Blue』でデビュー、一躍アイドルとしてスターダムにのし上がった早熟の天才児です。
少なくともブームに乗って出てきたシンガーの中では、ルックスも歌唱力もトップだったと思いますね。
2曲の全米ナンバーワンヒットを放つなど活躍しましたが、人気はそれほど長く続かず、最近はデボラ・ギブソンと改名し、主にミュージカルなどで活躍しているそうです。


次はかなり有名なカイリー・ミノーグ


Kylie Minogue - I Should Be So Lucky


オーストラリア出身の歌姫です。
子役から19歳のときに歌手に転向し、やはりストック・エイトキン・ウォーターマンのプロデュースで大ヒットを連発します。
その後SAWのプロデュースも飽きられた頃、小悪魔的な方向にイメージチェンジし成功。一時低迷期もあったものの、さらにきわどい衣装を纏いセクシー路線を推し進めることで復活し、現在も活躍しています。
またこの人は不思議なくらいロック界での人気が高く、多くのミュージシャンからアイコン的な崇められ方をしていたりもするのですが。
特にプライマル・スクリームボビー・ギレスピーマニック・ストリート・プリーチャーズのメンバー、ニック・ケイヴあたりの惚れ込み様はすごかったです。


続いては最近は椿鬼奴も歌っているスパイス・ガールズ


Spice Girls - Wannabe


90年代後半に世界を席巻した女性アイドルグループです。海外でモーニング娘。的な存在を挙げろ、と言われたらこれが真っ先に挙がるんじゃないかと。
80年代にポール・ハードキャッスルの『19』を大ヒットさせた実績のある、敏腕マネージャーのサイモン・フラーの手によって売り出され、瞬く間にスターの座を獲得し、「スパイス・シンドローム」と呼ばれるほどの人気を博しました。
当時は主演映画『スパイス・ザ・ムービー』が撮影され大ヒットする(ただし映画はゴールデンラズベリー賞に複数部門でノミネートされ、最低主演女優賞を受賞した)など、飛ぶ鳥を落とすような勢いでしたね。
しかしその後フラーの元を去ってからは迷走を始め、脱退、妊娠・出産、いんちきパンク路線で大顰蹙などの失敗を繰り返した挙句、メンバーの不仲が表面化して結局01年に活動停止してしまいます。
ちなみにメンバーのボッシュ・スパイスが、デヴィッド・ベッカムの夫人であるヴィクトリア・ベッカムです。


次は今でもバリバリの現役、ブリトニー・スピアーズです。


Britney Spears - Toxic

D


日本でも「ブリちゃん」の愛称で呼ばれるなど人気の歌手。
この『Toxic』は、イギリスのテレグラフ紙の行った「最もセクシーなミュージックビデオ」のランキング1位に選ばれた、なかなかエロいPVです。
彼女は16歳で出したデビューシングルを全世界で915万枚、デビューアルバムに至っては全世界で3000万枚を売り、一躍トップスターの仲間入りしました。
20歳になると可愛い女の子といったアイドル性を払拭し、セクシーなダンス・ビートをベースにしたサウンドとエロチックなパフォーマンスで新境地を拓き、現在も活躍しています。CD総売り上げは1億枚を突破してるとか。
反面私生活ではお騒がせで、結婚、妊娠、マタニティ・ヌード、離婚、当て逃げ、無免許運転、子供の親権喪失など、無軌道な私生活を続け、ゴシップのネタを提供し続けているのですが。


続いてはクリスティーナ・アギレラです。


Christina Aguilera - Genie In A Bottle

D


一時はブリトニーのライバルと目されていた人物でした。
この曲は観月ありさが『Love Potion』としてカバーし、ドラマの主題歌にもなってましたっけ。
彼女は18歳でデビューして、瞬く間に3曲の全米ナンバーワンヒットを出し、ブリトニーを破ってグラミー賞の最優秀新人賞を獲得しました。
しかしその後はリッキー・マーティンとデュエットしたりするものの、なんとなく精彩を欠き、ブリトニーとの立場は逆転してしまうはめに。
個人的には顔立ちがはっきりしすぎて、化粧すると思いっきり暑苦しくなるのが敗因じゃないかと思うのですが、真偽は不明です。
意外な苦労人で、デビュー前には来日して中西圭三とデュエットした経験もあります。


次は単なる好みで、ホリー・ヴァランスです。


Holly Valance - Kiss Kiss


オーストラリア出身のシンガー。
19歳でリリースされた『キッス・キッス』は元々トルコの歌手タルカンのカバーなのですが、彼女が全裸で踊っているように見えるPVが話題を呼び、全英で1位を獲得しました。
当時このPVを見て、なかなかエロいので結構気に入った記憶があります。僕はエロいの嫌いじゃないですからw
彼女はその端麗な容姿から日本でも多くの支持を集め、デビュー・アルバム『ホリー・ヴァランス』は約30万枚もの売り上げを記録しています。
しかし栄華の期間は短く、その後売り上げの低迷に加えて、彼女の元恋人でもあったマネージャーとの解雇に絡む訴訟問題などもあり、結局レコード会社からの契約を切られてしまいます。
その後は時々シンガーをしながら、女優業のほうに力を入れているようです。


続いてはこれも堂々たる現役の、アヴリル・ラディーンです。


Avril Lavigne - Girlfriend

D


カナダのシンガーソングライター。白人のためのキュートなアイコン的存在。
16歳で発表したデビューアルバムを全世界で1700万枚売り、その後も大活躍して押しも押されもせぬスーパースターの座を獲得しています。
他のアイドルたちと比べると、反抗的なイメージや大雑把にガンガン弾き鳴らすギターの音色などが特徴で、ロック好きの少年少女の心を捉えているようです。
また当人のキャラもアイドルっぽいけど媚びないし、言うことも結構きつかったり、他のシンガーをディスったりと、ロックっぽさ満載ですね。ちょっと厨二病みたいなところとか。
他のアイドルたちと比べて、セクシーな方向に行かないのが新しい感じでしょうか。


最後はフランスのアリゼでもいっておきましょうか。


Alizee - Moi Lolita


一時フレンチロリータの代名詞的存在でもあった彼女は、コルシカ島出身のシンガーです。
15歳で見出され、ここに紹介した『わたし ロリータ』(なんつータイトルだ)でデビュー、フランスをはじめとしてヨーロッパ本土でブレイクしました。
当時は日本でも人気があり、ブルボンのCMに曲が起用され、本人も出演したこともあるくらいです。
しかしその後いまいちパッとせず、結婚、出産を経て、現在はかなりセクシーなイメージで売っています。


最近もサイリー・マイラスとかいろいろいるらしいんですが、詳しく知らないのでパス。
しかし欧米でも結構アイドルっているんだなあとちょっと感心すると同時に、みんなすぐエロい方向に行くなあとさらに感心w