生存報告

皆さまあけましておめでとうございます。
1年以上も更新していなかったので、もうこのブログも放置されたと思っておられた方も多いのではないでしょうか。
実際はそんなつもりは毛頭なく、時々は更新してアイドルのことでも書こうと思っていたのですが、昨年は重い病気に罹って半年ほど入院してしまったため、それが不可能になってしまったのですね。
幸い今はかなり回復していて、少しずつ社会復帰への道を歩んでいるので、とりあえず生存報告代わりとして、その間のことを簡単に説明しようと思っています。
まだまだ長文を書くのはしんどくて、かなり簡略化された内容になっていますが、どんな病気だったかくらいは分かると思いますので、お暇でしたら読んで頂ければ幸いです。




昨年は5月の後半から11月の前半まで、約半年間入院していました。
今まで肝炎や小腸イレウスで入院(両方とも一昨年ですが)したことはあるんですが、前者は1か月、後者は10日間という短さでしたし、特に前者はだるいからごろごろしているだけという気楽さでした。しかし今回のはマジで辛くて、最初の頃は毎日死にたいと思うくらい厳しかったです。
今回の入院で治療することになった病気は三つです。一つずつ説明していきましょう。


1.ギラン・バレー症候群


これが今回の入院のメインでした。非常に珍しい病気で、厚労省から特定疾患に指定された難病です。
サンフレッチェ広島佐藤寿人、女優の大原麗子、俳優の安岡力也、第32代アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトなども罹患しているので、名前くらいは御存じの方もおられるのではないでしょうか。
この病気の特徴は、筋肉を動かす運動神経の働きが阻害されて、四肢が動かなくなることです。病状は本当に人それぞれで、軽度の場合はすぐに治ってしまいあっさり社会復帰できてしまうことも多いのですが、自分の場合はそう簡単ではありませんでした。
最初は風邪のような症状が出て、結構きつい頭痛や下痢が続きました。ただ自分はもともと体があまり丈夫な方ではなく、こういう症状は日常茶飯事だったので、家にあった総合感冒薬を飲んで、暖かくしていれば治るだろうと高をくくっていました。
ところが二、三日すると手先や足先が痺れ始め、日常生活に支障が出るようになり始めました。さすがに風邪でこんな症状が出るのは異常だと思ったため、あわてて行きつけの内科に駆け込んだのです。
そこの医師は「おそらく神経の病気でしょう」と言い、大病院への紹介状を書いてくれたんですが、その時にはもう自分で歩くことがかなり困難になっていましたね。
結局弟が自動車で運んでくれて大病院に行き、そこでいくつかの検査をした結果「ギラン・バレー症候群でしょう」と診断され、そのまま入院することになりました。
自分は一応この病気のことは知ってはいたんですが、「体がだんだん動かなくなる」というのはかなり不安でした。また付き添っていた母親と弟夫婦に至ってはこの病気のことは初耳だったそうで、自分以上にうろたえてしまっていて、それがかえってこちらの不安を煽るような形になっていましたね。まあ無理もないのですが。


入院した直後は車椅子を使えば自分で移動できましたし、そもそもベッドから車椅子に乗り移ることもなんとか自力でできたんですが、病状の進行はびっくりするくらい早く、三日もすると体はほとんど動かせなくなりました。具体的に言いますと、首から下はちょっと腕が動かせるくらいで、下半身に至ってはピクリとも動かなかったです。
また運動障害だけでなく感覚も侵され、手足の先の部分は触覚もほとんどなくなりました。家族や看護師さんが触っても全然それが感知できないんですよね。これは本当に怖かったです。
一番辛かったのは意識がしっかりしているのに体が動かない、ということでしょうか。何かあってもナースコールすら自分ですることができず、とにかくもどかしくてそのストレスで頭がおかしくなりそうでした。
ただ不幸中の幸いだったのは、痛みがそれほどなかったことと、自力呼吸は何とか出来たということでしょうか。この病気が重くなると肺活量が低下し、気管を切開して人工呼吸器を挿管しなくてはならないことも多いのだそうですが、多少やりづらさはあったものの呼吸はできたためそれは免れました。父親が死ぬ前、人工呼吸器を挿管されてまったく何も話せなくなったのを見ているので、もしそうなったらかなり絶望していたと思います。


治療としてはガンマ・グロブリンという血液製剤を早期に大量投入するという方法が取られました。この血液製剤献血者の血漿から抗体を集めて作られたものだそうで、これを点滴の要領で五日間かけてゆっくりと、でも大量に投与していきました。ただこれはかなり高価なもので、あとで請求金額を見てひっくり返ったものですが(とりあえずは素封家の伯父が立て替えてくれた。その後保険と高額療養費制度でカバー)。
これが効いたんだかどうなんだか分かりませんが、だんだんと四肢に力が入るようになってきて、入院から二週間でとりあえず手だけはある程度動かせるようになってきました。一応スマホフリック入力とかできるようになりましたから。ただ手袋してスマホいじってるような感覚で、ものすごくやり辛かったですけど。
しかし手のほうは妙に回復が早かったくせに足のほうは全然で、療法士さんが動かしてくれればなんとか動く、みたいな感じが続き、ある程度自発的に動かせるようになったのは入院して約一か月後、自分で立てるようになったのは二か月後でした。手足の回復具合のギャップがひどくて、さすがにめげそうになりましたね。
一番精神的に辛かったのは、自分でトイレに行けないことでした。その間おむつをしてたわけですが、換えてもらう時とかもう屈辱でね。排泄を自分で行うというのは人間の最後の尊厳だと、十分思い知りましたっけ。


それでも立てるようになってからは回復はスムーズでした。リハビリ専門の病院に転院し、歩行器を使ったり壁伝いに歩いたりして練習して、一か月くらいすると介護付きではありますが外を散歩することもできるようになりましたから。
不自由とはいえ体が動かせるようになると、不思議と意欲も出てくるもので、本を持ってきてもらっていろいろ勉強したり、アイドルの配信に参加していろいろ話しかけたりと、日々の生活を楽しむ余裕も出てきました。特に何人かのアイドルさんにはいろいろ励ましてもらって、退院後の今もやり取りは続いています。本当に感謝です。
そんなこんなでいろいろリハビリをして体力をつけ、時には実家に帰って(その前に階段に手すりを付けるなどいろいろ改造を施した)くつろぐなど、だんだん日常生活が送れるようになっていって、11月の半ばに無事退院となったわけです。
ただ未だに昔のように動けるわけではないのですが、これはリハビリを通して回復する見込みが十分にあるということですので、今も無理のない程度に頑張っています。


2.甲状腺がん


これはいろいろ検査している間に見つかって、手術して取り除きました。
がんと言われた時は正直めちゃめちゃビビりましたが、がん自体はステージ1で非常に小さいこと、そもそも甲状腺がんは一部を除いては予後が良好で発育速度も遅く、転移の心配もほとんどないことを説明されて、ようやく安心して手術に踏み切った次第です。
手術自体は簡単と言うか、麻酔をかけられて気が付いたらもう終わってたって感じでした。しばらくは首に穴が開いていてドレーンという管と容器(内部にたまった血液や体液などを排出するためのものらしい)がついていたのがうっとうしかったんですが、それが取れたらもう普段と変わりませんでした。
首の付け根、鎖骨の上あたりに手術痕は残りましたが、それももう消えかかっていてしわの一部みたいになっています。
とりあえずは抗がん剤放射線治療も受けていません。甲状腺も半分は残っているので、ホルモンの投与も行っていません。1〜2か月に一度検査が義務付けられているだけです。
ただ甲状腺がんは進行がやたらと遅いため、普通のがんなら5年経過を見て問題なければ完治なんですが、甲状腺がんは10年見ないといけないそうで、そこは面倒くさいですけどね。まあ死ぬよりはマシなんですけど。


3.精神疾患


入院生活が長すぎて、ストレスのせいか一時期「死にたい」みたいなことを口走ったり、壁に頭を打ち付けたり、ツイッターで理不尽に絡んだりするなどの奇行を行ったことがあったので、精神を休めるためにちょっとだけ精神疾患の病棟に移送された時期がありました。
これは10日間程度でしたが、結果的にいいリフレッシュになりましたね。本当に何もせずに暮らしていたため、頭が空っぽになって落ち着きを取り戻しました。
頭を休めるためにスマホはナースセンターに預け、基本使用は禁止されました(数日したらちょっとだけ使っていいことになって、院外に散歩した時に見てましたが)。充電器のコードで首を吊る人がいるからなのか、それもナースセンターに預けてそこで充電してもらってました。
あと耳かきなんかも持っていてはいけなくて、普段はナースセンターに預けて、使いたいときは看護師さんの前で耳かきするんですね。これはなんとも言えぬ不思議な体験でした。


以上の治療を経て、11月の半ばには退院しました。
本来ならその時点で更新して報告したかったんですが、どうしても長文を書くことができなくて、今ようやく書いている次第です。もう一つのブログも完全放置してますね。
体調についてはそこそこ順調でしょうか。体力がかなりなくなった気がしますし、何よりも入院生活がしんどかったせいなのかすっかり見た目が老け込んでしまったんですが、まあ何とかなるんじゃないかという手応えは感じてます。
仕事も週2日、土日に夜勤をしています(歩き回れないので電話番やデスクワーク)。本当は春くらいまでリハビリみたいな話だったんですが、同僚が脳梗塞で倒れてしまってどうしても土日に人が足りず、軽い仕事だけでいいから何とかならないかということになって、医師と相談の結果リハビリを兼ねて出勤しています。しんどいですけど、いずれは出なくちゃいけないですしね。
とりあえず現状はこんな感じです。


・できること


・杖を使って歩く。
・階段を手すりを使って上る。
・箸を使って食事をする(ただし昔よりさらに下手になった)。
・一人で風呂に入る(手すりのある風呂に限る。頭を洗うのは若干苦労する)。
スマホやキーボードを打つ(ただしミスタイプが非常に増えた。押したつもりが押してないということが多い)。
・本を読む(たまに2〜3ページまとめてめくってしまう)。
・自転車に乗る(サドルを最低レベルにまで低くして、チョッパーみたいにしたやつなら何とか)。


・できないこと


・走る。
・字を書く(書けなくはないけどかなり下手)。
・包丁を使う(恐ろしくて使えない)。
・楽器演奏(弦を押さえられない。鍵盤もうまく押せない)。
・細かい作業(指がうまく動かない)。
・インフルエンザの予防接種(再発の恐れがあるので禁止されている)。


こんな感じですが、今はできないことも次第にできるようになっていくと思います。そのためにも頑張らないと。


とりあえずこんな感じですっきりポンコツになってしまいましたが、今年もよろしくお願いします。
毎年やっていたアイドル楽曲のまとめは、時間と気力があれば春までに少しずつ書いていこうかと思っています。でも去年はブランクもあって、ちゃんと聴いてない部分が多いですから、穴だらけな感じになっちゃうでしょうけど。
あと今年はいろいろライブや握手会にも行きたいな、とは思っています。特に握手会。欅坂とか超がつくほど行きたいです。
でもお金を稼がないとどうにもならないですし、それ以前に杖をついて行ったらめんどうなことにならないか心配で、いまいち踏み切れないのですが。
明日はPLCというアイドルグループのライブに行ってきます。このグループは僕が入院している時にshowroom配信で相手してくれた子たちで、その縁ですっかり好感を持ってしまったのですね。
昔から「AKBから地下まで対応できる」と半ば冗談で自称してましたが、実際そういうことになりそうです。まあ楽しければそれでOK。
あと今年中にもう一回乃木坂は行きたいかな。それともう一人会いに行くって約束した子がいるんで、それはなるべく早いうちに行くつもりです(その子はアイドルではない)。
とにかく今年もよろしくお願い致します。皆様もそれぞれの現場で楽しんで下さいね。