訃報

あの往年の名レフェリー、ジョー樋口が亡くなったそうで。


元プロレスラーでプロレスリング・ノア監査役を務めるジョー樋口(本名・樋口寛治)さんが8日午前5時38分、肺腺がんのため死去した。81歳。ノアが公式サイトで伝えた。通夜、告別式は親族のみで行われる。


樋口さんは1953年に大阪の山口道場でプロレスラーとなり、力道山に実力を認められて57年に日本プロレス入り。60年の引退後は英語力を生かして通訳を務める傍ら、レフェリーとしても活躍した。72年には全日本旗揚げに参加。米NWA公認レフェリーのライセンスを取得して世界タイトル戦を裁くなど、数々の名勝負を支えた。97年にレフェリーを引退。ノアではGHCタイトル管理委員長も務めていた。


http://www.sponichi.co.jp/battle/flash/KFullFlash20101108073.html


「山口道場」とかマニアックな言葉が出てきてますが、まあそれはそれとして。
樋口氏は年齢的には僕の父親より年上なんで、いつ亡くなっても不思議じゃなかったんですが、だとしてもやはり寂しいです。
乱闘に巻き込まれて失神して決着になだれこむ、いわゆる「ジョー樋口失神ギミック」が有名ですが、スキンヘッドの風貌とせわしなく歩き回る独特のムーブ、小橋建太のマシンガンチョップにも反則カウントを取った厳格なレフェリング、そして試合中ダグ・ファーナス(懐かしいな)に文句を言われたこともある遅いカウント(実際にストップウォッチでジョーのカウントを計測したところ、実時間の3秒とほぼ一致していた)など、しっかりした自分のスタイルを持っている人でした。
スタン・ハンセンやブルーザー・ブロディに片手で吹っ飛ばされたり、ザ・シークアブドーラ・ザ・ブッチャーの反則にいつまでも気づかなかったりと、ちょっと考えただけでもたくさんの名(迷)場面が浮かんできます。ミスター高橋もよかったですが、やっぱり僕の中でのベストレフェリーは樋口氏ですね。


今年はラッシャー木村山本小鉄、ミスター・ヒト、柴田勝久ジン・キニスキー、ジャック・ブリスコ、エドワード・カーペンティア、トニー・ホーム、エル・ヒガンテ、ランス・ケイド、アントン・ヘーシンクと、本当にたくさんの元・現役プロレスラーが亡くなりました。特にラッシャーや小鉄、キニスキーやブリスコあたりは、子供の頃から見てるんで寂しさもひとしおです。
とにかく樋口氏のご冥福をお祈り致します。
あの世でジャンボ鶴田三沢光晴の試合を裁いてほしいな。